りすると、と
①
つぜんクシャミがとまらなくなったり、おなかをこわしたりする。
もともと、文章を書くのがいやだ、ということもある。が、それ以上に手紙を書くのがいやなのは、あの形式のせいである。
まず、「拝啓」というのが気に入らない。拝啓というのは「つつしんでもうしあげる」というイミらしいが、いまどきそんなことを知っている人は、あまりいない。イミもわからずに、なぜ「拝啓」なんて書かなければいけないのか、ぼくにはまったく理解できないのだ。
(中略)
ま、いちがいに「形式」がいけないとは言わない。もともと形式というのは、みんなの便利さのためにあるものだ。形式があるからこそ、ぼくたちは余分なことに余計に神経を
②
使わずにすむ。もし、手紙の形式というものがなかったら、ぼくたちは手紙を書くたびに、「どう書きだせばいいだろうか」とか、「こう書いたら失礼にならないだろうか」とか、あれこれこまかいことに気をつかって、書かないうちからクタクタになってしまうかもし
(注1)
れない。
が、そういう形式の効用は十分認めたうえで、なおいまの手紙の形式は死んでいる、と
(注2)
ぼくは思う。で、それがぼくたちの首やからだに巻きつき、ぼくたちの手紙を窒息状態に追い込んでいると思う。形式をちゃんとこなせばこなすほど、手紙からどんどん生気が失
(注3) (注4)
われていくのだ。
(天野祐吉『バカだなア』による)
(注1) クタクタになる:とても疲れる
(注2) 効用:役に立つこと
(注3) ちゃんとこなす:うまく使う
(注4) 生気:生き生きした力
問1 ① 「手紙というのが、どうも苦手である」とあるが、その一番の理由は何か。
1 文章を書くのが好きではないから
2 手紙の形式が好きにならないから
3 手紙をどう書き出せばいいかわからないから
4 手紙を書こうとすると体の具合が悪くなるから
問2 ② 「余分なことに余計に神経を使わずにすむ」とは、たとえばどんなことか。
1 疲れたり、体の調子が悪くならないように心配しなくてすむこと
2 書き始めの表現や相手への礼儀を表す言葉を考えなくてすむこと
3 相手の使う形式に合わせて、自分の手紙の形式を変えなくてすむこと
4 自分で考えた言葉をどんどん使って、相手に失礼になっても気にしないこと
問3 筆者は手紙の形式についてどのように考えているか。
1 形式はないと不便だが、現在の形式は手紙を書く意欲を奪うものだ。
2 手紙の形式のもともとの意味を知れば、よい手紙が書けるようになる。
3 相手に対して失礼な手紙を書きたくならないなら、形式は無視した方がよい。
4 形式があるからこそ、自由に好きなように相手に手紙を書くことができる。
(2) 人間と動物、動物と機械は、それぞれ決定的に異なる何かがあるのだろうか。そ
れとも、その違いは、距離の差にすぎないのだろうか。
ここでは、たとえばそのなかの二つ、動物と機械の差を考えてみよう。たしかに機会は無生物であり、動物は生物の一部にほかならない。( ① )は対立する概念なので、機械と生物はまったく異なるものということになる。
だが、たとえば現代の自動車工場では、日々、ロボットを使って自動車が製造されている。この様子は、極端に言えば、まるでロボットが自動車をつくり続け、人間の労働者は、あたかもそのロボットの補佐役のようであるとも言える。そして、この工
(注1) (注2)
場のシステム全体を見ると、それがひとつの生き物のようである。これは、機械が機械を生んでいる、動物で言えば「世代交代」をしているかのように思える光景だ。
「世代交代」は、「自己増殖」と並んで、生物と無生物を分ける、生物の決定的な特
(注3)
徴とされている。だが、上記のように、今日のロボットや自動車は機械であっても、またその巨大な集積であるFA工場は機械システムであっても、「世代交代」という
(注4) ②
機能をもっており、少なくともその面では、動物もしくは、動物の種の姿に近いと考えることができる。そう考えると、生物とは対立するはずの機械も、その違いは単に
③
距離の差に過ぎないと言える。
(奥野卓司『人間.動物.機械―テクノ.アニミズム』による)
(注1) あたかも:まるで
(注2) 補佐役:仕事を助け、補う人
(注3) 増殖:増えて多くなること
(注4) FA工場:生産システムが自動化されている工場
問1 ( ① )に入る適当なことばはどれか。
1 生物と動物
2 生物と人間
3 無生物と生物
4 無生物と機械
問2 筆者は自動車工場における人間の役割はどのようだと言っているか。
1 ロボットではできないような作業をしている。
2 ロボットが自動車をうまく作るのを助けている。
3 ロボットが自動車を作るのを見ているだけである。
4 ロボットに指示を与え、う